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【ゲーム感想】月姫 -A piece of blue glass moon- 完膚なきまでに心をえぐる色褪せない傑作ADV

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※途中からネタバレがあります。

 

・はじめに 月姫との出会い

思えば型月作品を避けていた時期があった。

私がインターネットに触れ始めたゼロ年代半ば頃、時はまさしくノベルゲー全盛期であり、fateCLANNAD等々の時代を代表する傑作が次々とリリースされていたらしい。もっぱら携帯用ゲームに勤しんでいた自分には縁遠いジャンルで、2chにただようそんな空気を他人事のように眺めていたような記憶がある。

中二病をどれだけマイナーな良作佳作を掘り起こすかという玄人ぶる方向性にこじらせてしまった結果、どことなくメインストリームを避けつつ育ってきてしまったために、型月ファンから聖典のように語られる「月姫」も当然リアルタイムで触れることはなかったのだ。

 

時は経ち。虚淵が書いているから間違いないぜというオタクのすすめでfate/zeroからTYPE-MOONユニバースに入門し、fateにハマり、FGOやらCarnival Phantasmやらを履修し、気付けば「やっぱ奈須きのこは天才なんだよな~」などと当然のように口走るようになっていた。

さて月姫である。いい加減年を取って丸くなってくると、「名作」「古典」と呼ばれるものがいかに素晴らしいものかということに気づき始める。やったら面白いのは間違いないんだろうけど、古すぎて流石に手が出んな~と思っていたところで、どうやらリメイクが出るらしい。10年単位で待ちわびていたファンの方々の気持ちは知る由もないが、これは運が良い。それはもう大層に泣いたという友人の猛プッシュもあって軽率に購入。

 

結論から言うと、めちゃくちゃハマった。すんっごい面白い。
貪るように読み進め、気付けば3,4日をほぼ月姫のみに費やす羽目となった。この感動というか衝撃というか、諸々の心情を書き留めておかねばならないという使命感を強く抱いたので、以下感想。


以降はネタバレを含むので、1mmでもプレイする可能性のある方は避けてください。というか、もし月姫をやらずにこのブログを読んでいる人がいるとするならば(いるのか?)、月姫をやらない理由がないので、今すぐ買ってください。ノベルゲームというジャンルに抵抗がなければ間違いなく面白いので。


アルクェイドルート

古今東西どのような傑作であれ、フィクションにおいて描かれるテーマは得てして普遍的なものである(故に、傑作とは時が経っても色褪せない)。アルクェイドルートの骨子は、「感情を知らなかった存在が、少年と出会い、恋をして、別れる」と極めてシンプルに書いてしまうことができる。何を陳腐な、と思うかも知れないが、本作をプレーし終えた我々がそのように感じることは全くない。

本作をここまで良質な物語たらしめているのは、緻密に練り上げられた舞台設定・世界設定と、それらを十全に使い尽くしてプレイヤーを作品世界に引き込む優れたストーリーラインや描写力であろう。

 

まず出会い方からして反則級である。殺してしまった相手と再会する、という発想からして飛び道具にも程がある。だが月姫という世界において、真祖とは殺されても生き返る(本来は死ぬこと自体がイレギュラーな)ものであり、志貴にとって死の線は見えるものであって、そこに違和感やこじつけはまるでない。

むしろ、なぜ志貴は出会い頭のアルクェイドに殺人衝動を抱いたのか?という謎は、冒頭から描かれる不穏な回想シーンや志貴の過去とあいまって、本作全体を読み進めていく原動力になっている(そして悲しいかな、現在リメイクされた範囲ではまだその謎は明らかになっていない)。

(こう書いていてふと気付いたのだが、同じく傑作ADVと名高い「STEINS;GATE」も「ヒロインの死体を目にする」という衝撃的な光景から始まり、タイムリープという"空想科学"をギミックにストーリーが展開していく……という点で構造は似通っているかもしれない。何にせよ、現実には起こりえない要素を取り混ぜることで、フィクションは飛躍的に面白くなる、という一般論に帰結できるようにも思う)

 

その後、志貴は吸血鬼との戦いに身を投じるが、「殺人の責任を取る」というこれ以上なく重い動機を背負っており、プレイヤーにも「やらされている感」を微塵も感じさせない。

こうしてアルクェイドと時を過ごしていくうちに、気付くと、我々はすっかりアルクェイドに魅了されているのである。

分岐後のルート内容は比較的シンプルだが、それ故にアルクェイドの魅力がストレートに感じられる、素晴らしいボーイミーツガールに仕上がっている。

 

アルクェイドはこの上なく魅力的に描かれたヒロインだ。わがままで、無邪気で、純真で、何よりかわいい。大人びた美しい外見と無垢な子供っぽさのギャップ、非人間的な達観した価値観を持ちながらも感情的で生き生きとしている振る舞い等々、ただの元気系ヒロインにはない深みも持っている。およそ好意を向けられて恋に落ちない者はいないのではないか。

そんなアルクェイドのキャラクターも、彼女の特殊な背景設定なくしては成り立たないし、人間ではないからこその魅力に満ちあふれている。そもそも志貴に好意を抱いたきっかけですら、「生まれて初めて殺された相手だから」という理由なのだ。

不死の存在と、それを唯一殺しうる手段を持ち、あまつさえ殺してしまった人間、という二人の関係が運命ではなくてなんだというのか。

このように、月姫の作品世界においては、一つ一つの設定がキャラクターの行動原理や感情理解に深く根ざしており、決して中二病的な飾り物に過ぎないということはない。

 

そしてアルクェイドに身も心も魅せられた志貴君とプレイヤーに待ち受けているのは、彼女との別れである。

私は何よりハッピーエンドが好きだし、全てのエンタメは大団円こそ至高という立場にいるが、こと月姫に限っては、これが正しいエンディングだと思う。もちろん心情的には満足するはずもなく、空虚感と喪失感で呆然とするほかなかった。それでもなお、「このエンディングに点数を付けるなら?」と聞かれれば、満点と答えざるを得ない。

アルクェイドは本来志貴の人生と交わるはずのない超常の存在と、頭では分かっていながらも、心のどこかでは一緒に過ごしていける未来があるのではないかと期待している部分もあった。それでもアルクェイドは、志貴への想いを胸に、ロアと死力を尽くして戦うことを選んだ。志貴と別れ、月夜を跳ねながらロアの元へ向かうシーンは、間違いなく本作のクライマックスだ。バックで流れる「生命線」インストver.が沁みる(※)。

運命的な必然で二人が出会ったように、二人の別れもまた必然と言える。収まるべきところに物語は収まったという実感があるだけに、ことさらに別れは悲しい。だが、これこそがアルクェイドルートの結末なのだと、我々は彼女との思い出を胸に刻みつける。私にとっては本当に稀なことだけれども、満足感のある素晴らしいビターエンドだった。

※余談だが、特典の月姫読本によると、楽曲名はすべて奈須きのこ自ら名付けたという。この曲名が「ハッピーエンド」というのがまた泣ける。シエルトゥルーエンドを観た後にタイトル画面の曲もちゃっかり切り替わっていて、これまた泣ける。


・シエルルート

正直なところ、プレーする前も、アルクェイドルートを進める間も、シエルのことを好きになる気配は全くなかった。アルクェイド一筋の選択肢を取っていたので序盤の学園生活でも相当影が薄く、その後もヒロインとしての大きな絡みはないままにクリアしてしまうことができたからだ。そもそも、こういうショートカットってあんまり好きじゃないんだよな……。

ところが、である。我ながらチョロすぎてどうかと思うが、衝動的に人を殺し茫然自失となった志貴君の元に手を差し伸べてくれたシエル先輩の暖かさに、オタクの心は一瞬で氷解した。こんな優しい人がいていいのだろうか。

一緒に過ごすようになると、優等生然とした面白みのないキャラだという印象がガラガラと崩れ落ちていく。このカレー先輩、なかなかに可愛げがある。

不幸で悲惨な過去を背負った少女を救う、というのはある種エロゲーのお約束的な展開ではあるのだが、やはり良いものは良いものだ。キャラの掘り下げや志貴君の心情描写が丁寧で、自然とシエル先輩に肩入れしてしまう自分がいる。


……と、ついキャラ愛を語ってしまうが、本作の見所は恋愛要素だけではない。

シリアスからコメディまで、あるいはヒロインとのデートから一大スペクタクルまで、描かれる物語の振れ幅は大きい。ジャンルを当てはめようとするならば、ミステリー、サイコホラー、学園もの、アクション活劇、この辺だろうか。あらゆる方向に心を動かされ、様々な描写で感情を鷲掴みにされる。

特筆すべき点として、一人称ADVという性質をこれ以上なく生かし切った演出手法は本当に素晴らしく、例えば「眼鏡を外さない」ことが選べない程にまで追い込まれた際の遠野邸での出来事は文字通り鳥肌が止まらなかった(ここ、琥珀さんはすべて分かっていて平然としているよね? ますます裏側が気になって止まない……)。

特にシエルルートは「志貴が吸血鬼化して変貌していく」という違いがあるため、キャラクターの葛藤や凄惨なBAD END等、より重厚で深みのある展開が繰り広げられる。

 

アルクェイドルートは飾らないシンプルさが心に響くが、シエルルートの練り上げられた巧みなプロットには思わず唸ってしまう(このあたりのカラーの違いは、リメイクにあたってアルクェイドルートはオリジナルに忠実に、シエルルートは大幅にリライトしたという制作方針もありそう)。

そして、ここでもロアという設定の生かし方が抜群に上手い。アルクェイドにとっても、シエルにとっても、ロアは殺すべき対象である。そんな因縁の存在が乗り移ろうと主人公の中に巣くっているなんて、話が面白くならない訳がない。何しろ普通の恋愛ものであれば「二人のヒロインが主人公を奪い合う」くらいがせいぜいなのに、「二人とも主人公が好きだから/好きなのに、全力で殺しに来る」のだ。

シエルもロアに人生を大きく狂わされたうちの一人であって、ロアを宿した志貴とそう易々とは結ばれてくれない。自らの罪に対する責任感や贖罪に費やしてきた半生と、目の前の吸血鬼を愛してしまったという現実の間で、揺れるシエル。その葛藤は志貴を殺そうという戦いの中でピークに達し、まだかろうじて人間性を保っている志貴に抱き留められることで、決壊する。ここでオタクの涙腺もまた決壊する。シエル先輩を殺すことなんて、できないよ……。

 

さらに白眉であるのは、ロア自身が、単なる設定や舞台装置にとどまらず、一人のキャラクターとしてきちんと描かれ切っている点である。

ロアは紛う事なき悪である。自身のために他人の人生を平気で踏みにじる、およそ許されない悪人である。間違いない。ただし、神学者であった時代の彼には崇高な理念があって、不死の存在を目指していた。そして何より、真祖アルクェイドに出会ってしまった後は、ただ純粋に、アルクェイドという永遠を追い求めていただけなのだ。不死の探求はアルクェイドに近づこうという営みの一部でしかなく、人命を何とも思わない極悪非道の所業の数々は、それを行うための手段に過ぎない。

だから許されていい、という話ではなく。現にロアが生きている限り、物語が幸せに閉じることはない。アルクェイドルートでは、志貴の異能によってロアは転生すら許されない死という結果を迎える。シエルルートノーマルエンドでは、志貴が道連れにすることでロアは消滅する。同じ肉体を共有していた志貴は、キャーンズの秘蹟(※)によって生き返るものの、シエルの命は失われてしまう。

※シエルに転生した15代目ロアの研究テーマは「継承」だった。シエルは自らの運命を譲渡したのだと思われる。ぽっと出の設定ではなく、回想でさりげなく触れられている点が細かい、というか上手い。……ちなみに、ロアの転生が16回目ということと、アルクェイドが17分割されたことって、何か関係あったりするのだろうか。有識者の意見求む。

 

シエルルートトゥルーエンドにおいて、ロアの転生は唯一平和的に解決される。

アルクェイドの暴走によって魂の上書きに失敗したことで、志貴とロアは奇妙な共闘関係に入る。おそらく正常に目覚め損ねたこの時点で、吸血鬼としてのプログラムされたロアは既にエラーを起こしており、志貴と対話しているのはオリジナルの人格にかなり近いロアではないかと考えられる。

故に、志貴の「アルクェイドにとって相手にすらされていない」という語りかけが、最後にロアを突き動かしたのだと思う。志貴がロアの感情に訴えかけたからこそ、ロアはオリジナルであったときの行動原理を思い出し、輪廻の手段が絶たれた中、自ら満足してその運命を終えたのだろう。

シエルトゥルーでは、物語の諸悪の根源であるロアでさえも救済され、真の意味でハッピーエンドを迎える。やってきたことがことだけにロアは許しがたいが、それでも「昨日の敵は今日の友」的なクライマックスの展開がアツいのは事実だ。複雑な因果が絡み合ったロアをめぐる一連の物語が、ともするとアルクェイドルート以上に綺麗に幕を閉じたという感慨深さがあって、これら二つのエンドは甲乙付けがたい。


ノエルもまた、しっかりとシエルルートで掘り下げがされた、魅力的なキャラクターの一人だ。突如赴任してくる新任のお姉さん先生というだけでもつかみは完璧だが、その正体は代行者であり(ギャップその一)、次第に狂気的な一面が明かされていく(ギャップその二)。

ノエルは徹底して凡人である。代行者でありながらも、(途中までは)冷徹で仕事人間に映るシエルと比較して、どこか不真面目で人間味が抜け切れていない。シリアスな展開の中で溢れ出る小物感がいいアクセントになっている。

過度な嗜虐趣味にしても、彼女生来のものではなく、シエルに転生したロアの悲劇から唯一生き残ったというトラウマによるものだろう。マーリオゥからも心が壊れかけていると評されていたが、おそらくこれが吸血鬼との戦いに身を置いた人間にとって普通の反応なのだ。人間離れした精神力を持つシエルに比べて、ノエルは実に等身大のキャラクターである。

ノエルにとって、ロアの器という憎い仇でもあり、精神的にも実力的にも超越した同僚であるシエルが、志貴という討伐対象に入れ込むことの落胆、そして一蹴されたことへの怒りや絶望は、死徒化という最悪に歪んだ形で発現してしまった。しかしこれも彼女が真っ当な手段ではシエルに勝ち得ないという自身の限界を悟ったからこその、凡人なりの意趣返しなのだ。

ロア同様に、ノエルの行いは悪行そのものだが、その背後にある動機や感情は極めて人間的で俗っぽい。それ故に、我々はノエルを嫌いになることができない。彼女もまた、ロアが引き起こした悲劇の被害者に過ぎない。


順番が前後してしまったが、まだ語っていないキャラがいる。ヴローヴ・アルハンゲリだ。

志貴やアルクェイドにとって半ば通り魔的な登場ではあったが、戦いが進むにつれ狂気から覚醒し、序盤の山場にふさわしい堂々とした敵役だった。これこそが津田健次郎というようなドスの効いた、けれどもどこかセクシーな声色も非常にマッチしている。

ヴローヴは何よりアクションシーンが格好いい。バトル描写の素晴らしさは流石の一言で、優れた筆致もさることながら、躍動感のある演出や豊富なカットインも相まって、ビジュアルノベルであることを忘れるレベルの迫力と没入感があった。OPでチラ見せされるが、仮にこれがufotableでアニメ化したら……と夢想せずにはいられない。

ヴローヴ戦は、志貴とヒロインの絆を強める「越えるべき壁」であるが、悪としての吸血鬼像が序盤に力強く印象づけられることで、アルクェイドや志貴の物語もまた深みを増している。ヴローヴもプロット上はやられ役に過ぎないとはいえ、本作を彩るキャラクターの一人として、大きな存在感を誇っている。

 

こうしてみると、本作のキャラクターは、主人公である志貴も含めておよそほとんどが人外じみた存在なのだが、その実極めて人間的な動機付けで動いており、それぞれの信念や情動に忠実だ。アルクェイドが最たる例だが、本作のいわば黒幕とも言えるロアもその例に漏れない。

ファンタジックな世界や事象を扱っていながらも、物語が我々の心情をストレートに打ち抜いてくるのは、やはり血の通ったキャラクターによって描かれる人間ドラマが優れているからだろうと思う。

アルクェイドルートのラストに繋がる、再会の約束をした夕暮れの教室で、アルクェイドは自分の生き方や感情に抱いている疑問を志貴にぶつけた。そこで得た答えは、無駄に人生を過ごしたっていい、ただ生きていることは素晴らしい、という極めて素朴なものだった。

これこそが、作品の根底を流れる、ありのままの生の肯定という力強いメッセージに他ならない。登場人物は悲劇に見舞われ、苦悩を抱えているキャラクターばかりだ。残酷な描写も多く、決して明るい話とは言えない。しかし、だからこそ、生きること、そして人を愛することの輝きは際立って見える。志貴も、アルクェイドも、シエルも、懸命にただ生きている。ロアですらかつてはそうだった。

 

本作は優れた娯楽作品であると同時に、どこかずっしりとした重い読後感がある。18歳以上対象となるだけの描写も、避けては通れない必然性を持っている。キャラクターを通じて描かれるドラマが、その背後にあるテーマが、心に響く。これだけの爪痕をプレイヤーの心に刻み付ける作品は、やはり名作と呼ばれるに相応しい。

 

・最後に

きれいに〆かけたところで、実はなんとまだ重要な三人のヒロインが残っている。

翡翠! 琥珀さん! そして秋葉!!!

残念なことに、非常に残念なことに、本作は未完であり、残されたこれらのルートを描く続編は鋭意開発中とのことである。

 

作中に散りばめられた謎には解けきっていないものも多い。志貴の本当の過去は? 遠野家の真の姿とは?(志貴が狂ったときの翡翠ちゃんと琥珀さんの反応が怖すぎる) 形見のナイフの「七夜」とは? 怪しすぎる斎木という男とみおの正体は? メルブラにはなぜ有馬家の都古ちゃんがカンフー美少女として参戦しているのか?(※これは作外) 等々。

だとしても、本作で描かれた三つのルートでは、それぞれの物語はきちんと完結を迎え、消化不良は一切ない満足なものだった。

 

月姫という物語がさらに続くことは喜ばしくもあり、一方で非常~~~に待ち遠しくもある。

よもや自分が月姫リメイクを心待ちにする立場になってしまうなんて、思いもよらなかった。秋葉しゅきしゅき侍の自分がどうなってしまうのか(実はキャラとしては秋葉が断然一番好き)、タスクの積み上がった奈須きのこが果たして何番目に月姫リメイクに取りかかってくれるのか、心弾ませながら続報を待ちたいと思う。

 

月姫、文句なしの傑作だった。シュタゲにちらっと触れたように、あの作品もこの作品も影響を受けているんだろうなあと色々語ってみたいことはあるが、いったんはこの辺で。

素晴らしい物語を本当にありがとう! つづく!!(さて、何年後に……?)

 

【初稿】2021/09/26