シャニマス考察 pSR【チエルアルコは流星の】八宮 めぐる
みなさんこんばんは。
アイドルマスター大学シャイニーカラーズ学部イルミネーションスターズ学科八宮めぐるゼミへようこそ。
今回は、シャニマス全カードの中でも屈指の名作と名高い、【チエルアルコは流星の】をついに本ブログでも取り上げようと思います。
散々語り尽くされているし、今更……という思いでなかなか踏み切ることができなかったのですが、やはりオタクたるもの自分の言葉で語らねばなりますまい、ということで改めて考察していきます。
本コミュに限らず考察においては多様な読み方がありうるものですが、今回の記事では、これまでの記事とは少し異なり、解釈の幅を増やすよりはむしろ絞り込む方向でまとめています。
なお本稿を仕上げるにあたり、手元のめぐるコミュを色々と読み直しましたが、悲しいかな一部限定やプチセレ対象は履修できていないことをお許しください。資産は全てストレイライトにつぎ込んでおりますゆえ……。
毎度のことですが、以下はネタバレとなりますので、プロデュースを終えていない方は今すぐシャニマスを起動してめぐるとWING獲ってきてください。
・本コミュで描かれたテーマと基本構造
本コミュにおいて提示される問題、もといめぐるが抱える悩みは、「ひとりぼっちの存在にどう寄り添えばいいかわからない」ことであり、孤独な存在は大きく二つの象徴を通じて描かれています。一つは、コミュ①における、めぐるが映画で演じる予定の役柄であった「大正時代にやってきた青い目の女の子」。もう一つは、コミュ②における、アクアリウムショップで見つけた「水槽で1匹だけ色が違う魚」です。
そしてtrueコミュでは、別の役柄を取ってきたというプロデューサーの行動/言葉をきっかけに、めぐるが「あの子にかけてあげる言葉が見つかった」と語ることになります。
・コミュ①「異邦の青、浮遊する」
さっそく細かく描写を見ていきましょう。
映画の撮影にあたり演技の自主レッスンをしているというめぐる。プロデューサーはめぐるの出演予定であった役が脚本の都合でなくなってしまったことを告げます。
選択肢によって、明るく受け止めていためぐるも内心ではやりたかったという気持ちがあること、プロデューサーも役がなくなってしまったことに負い目を感じていること、またプロデューサーが再度交渉してみようとしていることが描かれます。
その中でも特筆すべきは、めぐるの出演予定であった役についての説明です。「大正時代の日本にやってきた青い目の女の子」「大人しくて、喋るのが苦手……」と、「めぐるとはちょっと違うタイプ」であることが語られ、「いつもひとりで空を見ている」女の子に、「なにか声をかけてあげたくなって」「この子が見てた空のことをずっとずっと考えてたんだ……」とめぐるは言います。
コミュ①の時点では、「この子が見てた空のこと」に対するめぐるの考えは固まっておらず、trueコミュへ繋がる問題提示となっています。この問題の掘り下げはコミュ②と併せて検討します。
・コミュ②「同調の水、されど」
寝癖が気になってしまいお店のガラスを鏡代わりに髪を確認しているめぐる。
実はそのお店はアクアリウムショップで、ガラスの先には熱帯魚たちがいることに気づきます。そこで「この水槽で1匹だけ色が違う」魚の存在が目にとまります。
「すみっこに隠れて……なんだかひとりぼっちみたい」と言うと、Pに「めぐるには寂しそうに見える?」と聞かれ、「……ううん、わたしにはわからないよ」「この魚の気持ちは、この魚にしかわからないもん」「寂しいとか悲しいとか一言で言えるのかどうかも……」「もしかしたら、自分も他の魚のと同じ色だったらって思ってるかも……」「だけど、でも……だから……」と続き、結局具体的な思いを口にすることはできません。
そんな魚をもらっていこうかなと言うPに対して、「できたらでいいんだけど 色んな魚と泳がせてあげたいなっ」「この水槽以外の水槽もあるんだよって教えてあげたいよ……!」というお願いをし、去り際に、魚に対して「大丈夫……きみの色は、とっても綺麗だよ」と告げてコミュは終わります。
コミュ①における「青い目の女の子」とコミュ②における「色が違う魚」が、両者ともひとりぼっちで孤立した存在として位置づけられているのは先に述べたとおりですが、その理由は周りと違う色をしていること、つまり外見の差異に基づくものだということが示されています。
そしてコミュ①で女の子にかける声が見つからない理由として、女の子の気持ちは本人にしか分からないから、とめぐるが考えていることが魚に対する発言から窺えます。
しかしここで重要な点は、めぐる自身も「日本にやってきた金髪碧眼の女の子」であり、おそらくはかつて「クラスで一人だけ色が違う子」だったはず(水槽は管理された閉じた世界の象徴として、教室にも通ずるところがあります)、ということです。似たような境遇を過ごしてきためぐるであれば、逆にかける言葉が見つかりそうなものですが、そうではないようです。
・めぐる自身の境遇について
めぐると言えば、友達が多くて誰とでも仲良くなれる283プロ随一のコミュ強……というイメージがあるかと思いますが、越境コミュやホーム画面会話を見てもそれは顕著に表れています。
ところが、実は昔のめぐるは少し今と違ったのではないか、というよりもむしろ、めぐるの明るく社交的な振る舞いは後天的な努力によって身につけたものではないか、ということを我々は知っているのですね。
1枚目のpSSRである【元気いっぱいの金色ガール】でもすでに「わたしはプロデューサーが思ってるよりずっと臆病で……」という台詞があり、さらにはシナリオイベント「Star n dew by me」 では、めぐるは以下のように独白しています。
めぐるの他者に対する分け隔てない姿勢は、「居場所は自分で作るもの」「だから、拒んだりしない、選んだりしない」というポリシーに基づいていたことが語られています。思うに、凡百の「友達多いキャラ」からめぐるが一線を画しているのは、独善性の欠片もない、臆病さ故の優しさ、かつてつらい思いをした(であろう)経験から来る思いやりの精神なのでしょう。
おそらくめぐるは、すべての人が自分と同じように強くはいられないことを分かっているのでしょう。そして周りを変えることは容易でなく、何とかするには自分が変わるしかないということも。
だからこそ、そう簡単に「青い目の女の子」にかける言葉が見当たらないのです。
・trueコミュ「無重力のウテナ」
ダッシュで待ち合わせに来ためぐる。Pから、交渉を続けていたがやはり映画での出番が復活することはなかったと告げられます。しかし、元の役とは別の「主人公の親友というとにかく元気な役ってことで」オファーを貰えていました。
これを聞いためぐるはプロデューサーに抱きつくほど感激して、「ありがとう、わたしのために……」と言い、オファーを快諾、「いまはもう、あの子にかけてあげる言葉が見つかったから……」と語ります。
はたしてどんな言葉をかけるのかは語られず、以下のようにめぐるは言います。
そして、寝癖がついていることをPに指摘されるも、「……うん、気にするほどじゃないよねっ?」と言って仕事に向かい、コミュは幕を閉じます。
いったい何がめぐるの心境に変化をもたらしたのでしょうか。
事実を切り取ると「新しい役を貰えたこと」とも映りますが、後の台詞を踏まえると「プロデューサーが頑張ってくれていたこと」に最も心を動かされた(=鮮やかな空を見せてくれた)から、と考えられます。
現にプロデューサーは、めぐるを感激させるのみならず、めぐるのキャスティングを同じ外見的特徴を持っているだけの「青い目をした女の子」から、めぐるの内面的性格に寄り添った「とにかく元気な役」に変えさせていますが、これは監督等映画関係者たちの見た目に基づくステレオタイプ(:女の子や魚が孤独である理由)を取り払い、「色の見え方=心」をも揺さぶったということなのでしょう。シャニP、相変わらずただ者ではありません。
そして、プロデューサーの行動がめぐるの心を動かし、空の色を鮮やかに変えてくれた(鮮やかな空を見せてくれた)ように、「わたし、この鮮やかな空をみんなに見せられるようになりたいなあ」という気づきを得たことが、「かける言葉が見つかった」に繋がります。
「鮮やかな空を見せたい」というめぐるの決意が具体的にはどういうことなのか、端的に表れているコミュがあります。
先述のシナリオイベント「Star n dew by me」内の「魚と虹のワルツを」におけるめぐるの発言です。
公開の時系列としては、【チエルアルコ】の方がだいぶ前ですが、「魚と虹」というキーワードから強く意識されていることは間違いありません。魚とは、あの水槽にいた魚に代表される、めぐるが手を差し伸べる対象、そして「虹」は後述するようにイルミネーションスターズであり、めぐる自身の在り方でもあります。
つまり、「かける言葉」というのは「わたしは何があってもあなたを受け入れるよ」というメッセージであり、それを少しでも多くの人々に届けることが、めぐるがアイドルをする原動力となっているのではないか、と思います。
またここで、コミュ②でも出てきた「寝癖」の捉え方の違いにも、めぐるの変化が表れています。コミュ②においては、鏡を見て、つまり「自分が他者からどう見えるか」という内面化された視点から、Pからすれば気にするほどでもない寝癖が気にかかってしまっています。一方trueコミュでは、そういった先入観なしに、ありのままの自分を肯定し、周りからどう見えているかを過度に気にする必要はないのだ、という気持ちが読み取れます(もちろんアイドルとして人前に立つ上では直す必要はあり、その点はシナリオでも注意深くフォローが入れられていますが)。
ちなみに、「Star n dew by me」の冒頭においても、寝癖にまつわる一幕がありますが、その内容からシナリオイベントで描かれているのが【チエルアルコ】後のめぐるであることが分かります。
・チエルアルコとは何なのか
チエルアルコは、エスペラント語で「虹」を意味する「ĉielarko」から来ていることは周知の事実かと思います。語源としては、"ĉiel"「天」+"ark"「弧」で「虹」を意味し、これはフランス語"arc en ciel"などとも同様です。
(脱線すると、これはエスペラント語の語彙が主にロマンス諸語に拠っていることに由来し、「虹」を意味する言葉の成り立ちはゲルマン諸語では英語のように"rain" + "bow"となっています。ちなみにギリシャ語やラテン語では"iris"と言い、英語でも"iris"「虹彩」という医学用語にその名残があります)
虹は、ダイバーシティのシンボルにもなるように、多様性や受容の象徴と言えます。そして文化圏によって何色に見えるかが異なるように、まさしく「心で見る色」の最たるものであり、めぐるが見た、そしてめぐるが見せたい「鮮やかな空」に通じるものです。
エスペラントという言語は、国や地域によらず全人類が意思疎通可能な言葉として生み出された人工言語であり、その在り方は、アメリカで生まれ育って異なる社会を経験してきためぐるの「虹」たらんとする姿と重なります。
ここまでが単純な語義解釈ですが、イルミネーションスターズという文脈のもとでは、「虹」はさらに特別な意味を持つ単語になっています。
それは、ユニット曲「ヒカリのdestination」および「虹になれ」の歌詞中に(そもそも後者ではタイトルに)、しばしば虹というモチーフが現れてくるからです。
「雨上がり 青い空」「輝きのたもと」「ヒカリのdestination そのしっぽを捕まえたい」「つながってく光の束 その先へ」「虹になって空を駆ける」「きらめく虹になれ」「光の余韻 空に残して虹になれ」……と関係しそうな箇所は枚挙にいとまがありません(こじつけ気味な例では、先ほどの「虹彩」も虹の一種だとすると、「瞳のillumination」もそうだと言えなくもない)。
虹は、イルミネーションスターズが放つ輝きの余波、軌跡、あるいは目指す先の光に至るまでの過程(まさに「天の弧」)等々、様々な描かれ方をしていますが、ざっくりとイルミネーションスターズを象徴するものと捉えていいのではないかと思います。中でも一番しっくりくるのは、「shiny tail」すなわち流星の軌跡、アイドルのきらめき、というイメージかなと考えています。
なお、作詞家の方とライターの方では想定しているものが違うんだという声もあるのかもしれませんが、シナリオイベント「Catch the shiny tail」を読んでも明らかに楽曲の歌詞を引用しているところもあり、イルミネというユニットを考えるうえでは、楽曲とコミュの世界観は一体になっているものだと捉えていいだろうという立場です。
従って、【チエルアルコは流星の】というカードのタイトルは、めぐる個人が信じる理想の在り方(受容・多様性の象徴としての虹=チエルアルコ)と、イルミネーションスターズ(流星)としてのアイドル活動(イルミネの象徴としての虹)が重ね合わさっている、ということが表されているのではないかと考えます。
流星の「何」か、という答えは、イルミネーションスターズにとっての「虹」が多様なイメージを有しているように、本コミュからは明らかでないものの、「見た人それぞれの心に思い浮かぶものだ」という解釈の余地を残しているのかなと思います。
・コミュタイトルと思い出アピール名称について
以上の解釈を前提として、「異邦の青、浮遊する」「同調の水、されど」「無重力のウテナ」「(for)give color」に込められた意味を探ります。
「異邦の青、浮遊する」については、そのまま「青い目の女の子」が周りになじめずにいること、即ち「浮いている」ことを表していると見てよいでしょう。
「同調の水、されど」については、周りと違うということについての同調圧力と、水槽という閉ざされた空間に満ちた水のイメージが掛け合わされているのではないかと思います。「されど」という部分は、同調とは真逆のtrueに向けた展開を予感させつつ、「だけど、でも……だから」という台詞に表れているようにまだめぐるが葛藤の中にあることを感じさせます。
「無重力」とは宇宙空間であり、星(イルミネーションスターズ)が瞬く領域です。浮力は大気や水を前提として作用する力ですが、宇宙は「空間に満ちているものが何もない、周りから何の力もかからない状態」であり、trueコミュにおいて謳われた、周囲がどうあろうと自分の気持ちこそが世界の見え方を形作るのだというメッセージに通じます。さらに、そこには国境や狭い世界の区切りはなく、すべてのものが浮遊しているフラットでユニバーサルな空間というイメージも付随してくるでしょう。
ウテナは、日本語の「台(うてな)」に対応する言葉ですが、「四方を見渡せるように高く作られた台」というところから、めぐるが手を差し伸べるために周りを見渡す場所であり、またイルミネーションスターズが立つ「ステージ(台)」の意味だと解釈します。
つまり、「無重力のウテナ」は、観客たちがめぐるやイルミネーションスターズと出会う場であり、めぐるの目指すものであり、観客たちが誘われる領域だと言えるでしょう。
最後に、思い出アピールの名称である「(for)give color」について、これは「鮮やかな世界を見せる」ことの"give color"と、異なる色を受け入れるという"forgive color"が表裏一体であること……というtrueで描かれたことそのものではないかと思います。
チエルアルコに対する私の考察は以上になります。
ご意見ご感想等々、忌憚なくお寄せください。お付き合い頂きありがとうございました。
初稿:2020/09/22