たいつノート

ゲーム等の感想置き場

シャニマス考察 pSSR【途方もない午後】浅倉 透

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こんばんは。アイドルマスター大学シャイニーカラーズ学部ノクチル学科浅倉透ゼミの時間がやって参りました。

 

今回の透も、凄まじく良いコミュでした。
来たる限定冬優子に向けて貯めていた9万ジュエルを全放出する羽目となりましたが、それでも全く後悔の念が湧かないほどです(冬優子については最悪課金すればという思いもあり……)。

1枚目に引き続いで、言葉数は少なくとも繊細に感情を描き切っている、また各所に示唆的な描写も散りばめられている、まさに職人芸といった出来栄えでした。
素晴らしく完成度が高い作品に対して野暮であることは承知の上で、私なりの解釈を添えることで、プロデューサーの皆様が本コミュをより深く理解する一助となれば幸いです。

 

ちなみに、1枚目からの解釈に基づいて本稿は成り立っておりますので、前提となるそちらの考察についてもよかったら覗いてみてください。

t1ghts.hatenablog.com


それでは始めます。
当然ですがネタバレに気をつけてください。


・コミュ①「午後1」

(あらすじ)
ある暑い日の午後、河原を歩く仕事中のプロデューサー(=P)。大胆にも木陰で昼寝をする透を発見する。事務所まで我慢できなかった、と言う透は更に、風が吹いて気持ちいいから、とPを休憩に誘う。だがPが隣に座ったとたん、風は止んでしまい――。(選択肢へ)

 

そもそも河原で昼寝する女子高生、只者ではないですね。透が大物と評されるのも無理ありません。

まず目を引くのは透がPを一緒に座ろうとけっこう強めに誘っていることでしょうか。意外とグイグイ来る系なんですよね。
また透が興味深いのは、「事務所に帰るPに付いていこう」とはならないことです。ただ単にPと一緒にいたいから、ではなくて、自分が感じている風の気持ちよさだったり、木陰の雰囲気であったり、そういったものを共有したいという気持ちの表れなのではと思っています。

 

本コミュでメインとなって描かれているのは「風」になります。
Pが傍に来たことで風が止んでしまうのは、透の日常生活や環境がアイドルになって変化したことを暗示していると考えられます。のちのコミュも含めて考えると、透は「自然体でいること」や「素の自分を出すこと」を重んじる価値観を持っており、そしてそうした姿に対する評価を欲しているのではないか、というように見えます。だとすると、このシーンにおける風は、透のこれまでの日常や、透がありのままでいることによって感じている「安心感」「幸福」のような快い感情のように感じられます。

これを踏まえて、選択肢を見ていきます。

 

「……すまん、俺のせいかな」:「涼しいはずの未来」を書き換えてしまったと言うPに対して、透は更にそれを「書き換えられるでしょ」と返します。そして風を吹かせるための行動としてPが事務所に戻りかけると、実際に風が吹き出します。それを見た透は一拍置いて、「戻らない未来でいいから」と言うのです。

「涼しさ」という概念に置き換えられてはいますが、実際にPは透の未来を書き換えてしまった存在です。つまり、透をアイドルにしてしまいました。そして透の涼しい未来、即ち平穏な日常を取り戻すためには、自分が去らなければならないことも自覚しています。
それに対して、透は、「風が吹いている」穏やかで心地よい未来を捨ててでも、「Pが戻らない」未来であることを望んでいるのです。うっ……透……!!
もう一つ補足すると、透は「Pなら未来を書き換えることができる」という信頼を寄せていますが、その一方で次の選択肢では「そうなるはずだった未来」の存在を強く肯定しています。一見矛盾するように見えるこの思考は、透の圧倒的な自己肯定感の表れというか、「自分が信じたものが未来なんだ」という思いから来るものなのかなと考えます。

 

「……来ちゃいけなかったかな」を選ぶと、結局風が吹き出すことはありません。しかし透は、風を「止むことになってた」、そしてPを「来ることになってた」と言い、Pに「いなよ」と促します。

この選択肢も、構図としては真逆ですが、先ほどの選択肢と同じ気持ちを表しています。透の中の優先順位は、P>>風ということです。風が止んでしまった現状を受け入れてさえいるのは、そこにPがいるからなのです。
なお幼少期に出会っていたPに対して特別な想いを抱いていることからも、透は何となく「運命」というものを信じていそうな気がしますが、ここでも少しロマンチックな面が出ているように思います。

 

結局、この2つの選択肢を見ていると、たとえ風が吹いていなかったとしてもPと共にある未来を透が求めていることが分かります。これを「私の生活が、人生が、変わってしまってもいいから、あなたといたいんだ/アイドルを続けたいんだ」と解釈してしまうのは少しクサいかなと思いつつも、透の胸に秘めた想いに近いのかなと考えます。
ただ、透自身を犠牲にする想いというのは、ちょっと後味が悪い感じもします。

 

その点、「風よ、こい! ……なんて」の選択肢は、トゥルーエンドのような爽やかさです。Pが去ることはなく風は吹き、Pと透は「やってみなきゃ」の精神で、交互に風を呼び合います。きっかけはPですが、風を呼ぶのは透自身であり、また2人で支えあうような姿が印象的です。
やはり前向きで行動力のあるPがいつだって正解なのです。

 

そしてコミュタイトルについて。
「午後1」と来ました。透カードの何も考えてないような姿勢、嫌いじゃないです。「手すりの錆」の解釈に何日も頭を悩ませる必要もないですからね。
とはいえメタ的な情報がないわけではなく、続くコミュタイトルがすべて「午後〇」と「所感:」というフォーマットになっていることから、これらは透とPの間でやり取りされている日誌を模したものだと考えられます。
ここから、本コミュは比較的透の視点が強調されたエピソードだということが言えます。


・コミュ②「午後2」

(あらすじ)
海辺で撮影を行っている透。休憩に入り声をかけようとするPだが、スタッフたちが次々に割り込んで話しかけられない。スタッフに褒められ差し入れを勧められる透に対し、Pはペットボトルの水を渡す。透はペットボトルを見て、Pが「逆さに映ってる」と笑い、水を飲み干す。(ここで演出)空のペットボトル越しにPは透を見つめ、「真っ直ぐだぞ、透は」と呟く。

 

バターサンドとか行列ソルベじゃなくて、Pが出すただの水が沁みるんだよな~ってポイントもありますが、もちろんそれだけではないんですね。
カット演出にもなっているペットボトルの役割を掘り下げていきたいと思います。

ペットボトルに水を詰めると、ものが逆さまに映るという現象があります。これはペットボトルがいわゆるレンズとして機能した結果生じたものです。


(以下は理科のお勉強なので飛ばしてもらってOKです)
なお、透がPを映していたときにペットボトルが横向きだった、という説明が入るのは、実際に上下逆さまに映すには、そうする必要があるからです。ペットボトルの形を思い描いてもらえると分かりやすいと思うのですが、レンズとしての集光作用が円柱の高さ方向ではなく周方向(=丸みを帯びた方向)のみ働くからなんですね。こうした働きをするものを「シリンドリカルレンズ」と言うそうなので、気になった方はググってください。
(ここまで)

 

レンズと言うと皆さんは真っ先に何を思い浮かべるでしょうか。ここでの「ペットボトル」は、言わずもがな「カメラレンズ」を想起させるアイテムです。
アイドルの世界、芸能界は、その多くがカメラレンズを通じて映るものです。透とPのペットボトルを通じた互いの見え方は、「アイドル」「芸能界」というフィルターを通すことに対する、それぞれの捉え方をイメージさせます。

 

透はレンズを通してPを見ます。逆さまで小っちゃくて(中学校で習った「像」の特徴そのままですね!)、何だか変に映ります。
今回の「天塵」イベントコミュでも明らかになりましたが、透は芸能界的な物事の恣意的な見せ方、切り取り方に強い反発を抱いているようです。この居心地の悪さが、コミュ①においては風が止まった状態であり、コミュ③においては「よくない」という自己評価に繋がります。
透にとって、「レンズ」は自分の姿を歪めるものとして捉えられており、それは時にPの姿も歪めてしまうものなのかもしれません。

 

一方のPは、「ペットボトル(=レンズ)」を通しても、透が歪まずに見えています。この業界でひたむきに頑張っているPにとっては、レンズは映ったものの魅力を多くの人に伝えることができるもの、より輝かしく切り取ることができるものと、ポジティブに捉えられていそうです。
あるいは、水のなくなったペットボトルはもはやレンズとしての作用を果たしておらず、アイドルではないありのままの透を見ているからだ、という言い方もできます。
きちんと透のことが真っ直ぐ見えているし、芸能界でもそういう見え方をさせていきたい、という決意が読み取れます。

 

この2人の立場の差が、次のコミュへもつながっていきます。


・コミュ③「所感:頑張ろうな」

(あらすじ)
様々な仕事の場面で「いい」「いいよ~」「いい!!」と口々に褒められる透。Pは「透なりに、透の前にあるもの ちゃんとのぼって――」と満足げ。あるとき2人で歩いていると、透は「よくなーい……」と口をついて出てしまい、「そんな、よくないって 私」「……っていうか いいかな、なんか」とPに問いかける。Pの「のぼるって、大変だよな――」というモノローグから選択肢へ。

 

本コミュはPから透を諭すような内容になっています。先ほどコミュタイトルに触れた際に書いた通りですが、タイトルからもP視点が示唆されています。

そしてここでは各選択肢の会話のリズム感というか、Pの優しくも要所をついた語り口が絶妙なのですが、下手に切り取ると魅力が損なわれてしまいますので引用は控えます。ぜひ原文で味わってください。

 

内容の考察に入ります。
それぞれの会話内容を踏まえると、私は、透が自分を絶対的に「よくない」(=わるい)と思っているのではなく、自己評価から乖離して過剰に「いい」と言われることに対して、反射的に「よくない」(=いい、ではない)と感じてしまっているのではないか、と捉えています。

Pは、「よくない」っていうのは「いいもの」が見えてることだよな、と語りますが、これに対して透は分からないと答えます。つまり透は何が「いい」か分からずに、「よくない」と言っていることになります。
またPは、「よくない」って言われてちょっとでも心がちりっとしたら、それは大きな一歩だって思う、とも語っています。これに対して透が何を感じたかは明確に描かれていませんが、透自身が「よくない」って思ってるわけじゃないだろ、と気づかせたいPの意図は伝わります。

 

結局、「いいよ」「よくない」の選択肢における2人の会話では、何が「いい」で何が「よくない」のか結論が出ることはありません。そして、これを見出いしていく過程が、「(ジャングルジムを)のぼる」こと、つまり人生の歩みだというメッセージも読み取れます。

 

一方で、「信じられないか?」の選択肢では、文字通り「信じる」という新たな観点が与えられます。みんながほんとのことを言っているとは限らない、この難しい世界(=芸能界)において、Pは透に「信じなきゃ」と説き、自らが透にとって信じることのできる存在であろうとする決意を示します。それに対して、透は既にプロデューサーのことは信じてる、と明かします。
周りが何と言おうと、Pは透を「いい」と認め、透はそれを信じて受け止める。常に他人の言葉に晒され続け、厳しくて不確かなアイドルという世界で、その想いだけが確かです。

trueや他のコミュも視野に入れた解釈をすると、透は「いい」という周りからの称賛を自分に向けられたものだと信じ切れず、迷っていますが、Pを信じることがその迷いを抜ける道しるべとなりうる、といったところでしょうか。まだアイドルとなって間もない透がジャングルジムをのぼっていくには、やはり先導してくれるPが必要なのかなと感じます。


・コミュ④「午後3」

ここはもう、ただの甘々コミュということで済ませたいのですが、触れておかねばならない点があります。
それは透から「プロデューサーらしい」という言葉が頻発することです。「男らしい」でも「優しい」でもなく、「プロデューサーらしい」。そして、その「プロデューサーらしさ」を「そういうとこ、す(き)――」と言い換えようともしていました。

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この表情

この描写が持つ意味はtrueコミュの方で触れていきたいと思います。

 

補足ですが、2人が食べていた通称ナスタチウム、正しくはキンレンカ花言葉には「恋の炎」や「愛の告白」、あるいは「あなたは何か(→情熱、恋情)を隠している」などが含まれているようです。まったくもって穏やかじゃない。


・trueコミュ「所感:」

まず、本trueでの最大の収穫と言うべきは、透がかつて「透くん」と呼ばれていたこと、そしてPが「透くん」「とーるくん」という響きに懐かしさを感じていることでしょう。今までのコミュでは描かれなかった回想の先に、Pが一歩近づきました。このまま更に何かを思い出すかも、そんな予感を感じさせます。

 

透はいつも通り肝心なところで「わかんない」を出したり沈黙したりしていますが、ここまでのコミュの流れを踏まえると、ふわっとした2人の会話に込められた意味を探ることができます。

 

透の口から、かつて自分が「とーる」「とーるくん」「とーるちゃん」と様々な呼び方をされていたこと、それらの「音」をすべて自分を指すものとして快く受け入れていたことが語られます。そして、今はそうではないとも。
ここでの発言は、「浅倉透」という名前に象徴されるアイドル像と、「とーる」という音に象徴される透それ自身の間に、ギャップが生まれてしまったことを言いたいのだと思います。

 

透は、レッテルを貼ること/貼られることを嫌い、「自分らしさ」や「プロデューサーらしさ」という要素を大切にしている節が見受けられます。外聞を気にせず、ピュアで飾らないという透の立ち振る舞いも、そういった価値観に基づいているのではないかと思われます。
そんな中、透は、アイドルという文脈において呼ばれる「透」という名前が、自分を指しているものではないと感じています。みんなが褒めて、みんなが「いいよ」と発する言葉は、アイドルである「透」に向けられているのであって、私自身に向けられているわけではない、と感じてしまっているのです。
本来は、それも含めて透という存在なのですが、透にはまだ「レンズ」を通して上手く世界を見る(あるいは、見られる)ことができていません。

 

そんな透をPは案じて、「誰かになることで、何かなくしたりとかは、してほしくないというか……」という思いを告げます。アイドルになったことで透が大切なものを失ってしまうこと、コミュ①のメタファーを用いれば、自分が透の傍に来たことで「風」が止んでしまうことは、Pにとっても不本意なのです。

 

そこでPは、「なんて呼んだらいいかな?」「俺も、できるだけいい音で呼びたいなって 透のこと」と聞きます。これはコミュ③における「信じる」行為や、コミュ①における「風を呼ぶ」行為と同じく、アイドルという世界に引きずり込んでしまった者として、透に寄り添おうとするPの思いの表れです。またコミュ④において「プロデューサーらしさ」と表現された一端がここにあるかもしれません。

そして、Pが内心で「透」と思った通り、「透で」という返事があり、「いい音だよね、なんか」というセリフを経て、コミュは幕を閉じます。

 

私の拙い解説でどれだけこのtrueの素晴らしさが伝えきれたか怪しいのですが、とにかく原文を読んでください。これまでのコミュで断片的に描かれてきた透とPの心情や関係性が凝縮され、言葉数は少ないながらも互いの信頼がしっかりと感じられるエピソードになっています。
前回にも増して、各コミュ間に通底するテーマを仕込みながらも、それぞれのエピソードを魅力的に描くという極めて素晴らしい内容だったと思います。私はチエルアルコ級に好きですね。これがどうして限定なのか……。

 

本考察はこの辺で終わりとしたいと思いますが、最後に一点だけ。
透にとって、「浅倉」呼びはどう感じているのか……?という疑問です。幼なじみの円香が「透」呼びから「浅倉」呼びに切り替わってしまった瞬間が本編で描かれることはあるのでしょうか。しばらくは二次創作で供給を得たいと思います。


ご意見、ご感想ありましたら是非お寄せください。
それでは。


2020/07/03【初稿】